テレビを捨てて本を読もう

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【進撃の巨人】壁と巨人が表現するものは人の深層心理か?

アニメもファイナルシーズン後期でいいとこをやってるので、改めて読み直してみたんですけど、伏線回収の巧みさとか演出の上手さとかそういうことはもうあらゆるところで言われ尽くしていると思うので、ちょっとこの漫画における文学的秀逸性について考察してみたいと思いますね。

最近興味深い本を何冊か読んだのでそれらを紹介しつつまとめていきます。

※ネタバレ有

 

少年漫画と文学性っていうと相反するもののようにも思うんですけど、やっぱり味のある漫画は文学性が高いんですよね。ジャンプとかのストレートな少年漫画に慣れ親しんできた身としては、大人になってから読むと進撃の巨人はその味が逆に新鮮で読みごたえがありますよね。

そもそも文学性とはなんだって話になるとまたややこしくなりそうですけど、ここでは比喩の上手さとでもしておきましょうか。実際のところ台詞回しなんかも中々渋くて小説チックなところも確かにあるんですけどね。
あくまで今回触れるのはいわゆる「メタファー」ですね。

この漫画に深みと奥行きをもたらしているのは、まず「巨人」「壁」という象徴性=メタファー性が高いものを題材として使っていることが挙げられるのではないかと思います。
つまり海賊だとか忍者とか特定の何かその漫画固有のものではなく、広く記号的な交換可能な象徴としてあるから読者も想像を膨らませやすいというか。
決してワンピースやナルトをディスってるわけではなくあくまで漫画としての方向性の違いです。ワンピースもナルトも楽しく読んでます。

では進撃の巨人における「巨人」と「壁」の象徴性とは何なのか詳しく見ていきましょう。

 

1.巨人

進撃の巨人の魅力の一つとして語られるのが、巨人の「得体のしれない気持ち悪さ」でしょうか。
進撃の巨人に登場する無垢の巨人たちは、諌山先生がネットカフェでバイトをしていた時に絡まれた酔っ払いがモデルになっているそうで、意思の疎通ができない恐怖という原体験が根底にあるそうです。
そこからあの何ともいえない巨人のリアリティある怖さを描くセンスはさすがですね。

しかし我々は何故無垢の巨人たちに気持ち悪さを感じるのでしょう。
それはあの巨人たちが紛れもない我々自身の隠された無意識的な暴力性、本能的な攻撃性、といったものを表現した姿だからではないでしょうか。

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出典:進撃の巨人 22巻

巨人の正体は人間自身(正確にはユミルの民ですが)と判明して、まぁやっぱりな、と感じた読者も多いのではないでしょうか。
フォルムからしてどことなくその辺にいそうな人たちがそのまま大きくなったような雰囲気を醸し出していたし、巨人の正体に関しては驚きの事実というより、どこかしっくりくるものもあったのではないかと思います。

目の前の人間手当たり次第襲って喰らいつく本能むき出しの恐怖と気持ち悪さ、それを両立させた象徴としての巨人の造形は秀逸だと思いますが、「巨人と壁」、そこにはさらに密接なつながりが見てとれます。

 

2.壁

進撃の巨人における重要なキーワード、それが「壁」です。
壁は色々な創作にも出てくるし、その漠然とした象徴性によって様々な要素のメタファーとして成り得ますよね。

「壁」が出てくる作品としての有名どころは小説なら村上春樹の「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」や米国のドラマ「ゲームオブスローンズ」あたりでしょうか。


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こういった作品から影響を受けたり与えたりしているとかしていないとか、そこはよく分かりませんが、進撃の巨人における壁も、様々な物事の比喩であると考えながら読むことができます(諌山先生がどこまで意図して描かれているのかは分かりませんが)。

では、壁とは何か、それは文字通り「境界」です。
ただ単に巨人の住む壁外と人類領域の壁内を区切る境界という漫画上の設定だけとどまらず、あらゆる意味での境界として読者が想像を巡らせることができるような象徴性のある存在としの漫画を描写していることがこの作品の卓越した文学性たる所以です。

人間はあらゆるものに境界を作りますよね、自分と他人、敵と味方、国と国、・・・というように、境界は我々が生きていく上で必ず発生する概念のようなものです。
この壁についてはユダヤ人収容区の象徴とか、ベルリンの壁とか、人によってはそんな見方もあるかもしれませんが、私の考える進撃の巨人においてこの壁が様々な物事のメタファーとして機能している例をいくつか見ていきましょう。

・では壁が表現しているものは何か、まず一つは我々自身の意識であり肉体、でしょうか。
我々人間に関わらず多くの生物は時に他者から身を守るために意識(心)に壁を作ります。この壁の薄い厚いに個人差はありますが誰しも壁は作るものです。
そして他者から身を守る鎧としての物理的な壁、つまり肉体ですね。
我々の意識も肉体も、他者から身を守るための壁にもなれば時には攻撃する武器にもなります。
我々に備わった自己防衛機能を、「普段は壁を作って守ってるけど、壁を破ろうとして攻撃してきたら超大型巨人が出てきてやり返すよ」、と盾にも矛にもなり得る最強の武器として「壁」を表現したのは、漫画的な伏線回収としても秀逸であると同時にその比喩性としてもまた優れているとは思いませんか?
ちなみに我々人間の壁とも言える「皮膚」と「心」について興味深い説が論じられている面白い文献があるのでよければご参考を。

 

・次に壁が表現するものとして、我々を縛る常識やしがらみ、社会的規制など、見えない形で我々の行動を制限しているもの、それを壁として表現しているとも言えるのではないでしょうか。

主人公のエレンは壁の中で平和であることを当たり前と思って暮らしいる人々を時に「家畜」とまで罵って軽蔑しています。
これは物理的に行動を制限されていることへの反発でもあり、心理的束縛に対する反発でもあります。
誰しも子供の頃は親や学校、地域社会などから行動を制限されていたところから自由になりたいと感じたり、大人になったらなったで様々なしがらみや責任、慣習から解き放たれたいと感じるものではないでしょうか。
でも結局誰しも生まれた時から自分自身の「壁」に囲まれてるんですよね。

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出典:進撃の巨人 33巻

この漫画は誰もが持っている「壁」から自由になろうとする抗いの物語でもあり、自分を縛る制限を破りたいのは生き物としての本能的欲求であり、ただ「やりたかったから」。

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出典:進撃の巨人 34巻

エレンが起こした行為のその究極的な部分には意思決定論も絡んでいるのではないかと思いますが、意思決定論に関する面白い文献を読んだので、そこに関してはまた別に後日掘り下げたいと思います。

ただ誰しも大人でも子供でも、自分たちを取り巻いたうっとおしい壁=社会的抑圧を取っ払いたいという根源的な願望を体現したのが壁の崩壊からの世界の破滅であり、多かれ少なかれ誰もが内に秘めた破壊衝動でもあるのです。

ではこの壁に秘められた破壊衝動と巨人の象徴とする暴力性について、さらに掘り下げてみたいと思います。

3.人の無意識領域と暴力性 ー壁と巨人の象徴するものについてー

いくつか別の記事にも挙げたように、最近ユング心理学に興味を持って色々読んでいるんですけど、狙ってなのか偶々なのか、この「進撃の巨人」はユング心理学を彷彿とさせるところが多々あります。

ユング心理学っていうと何ぞや、という方も多いと思いますが、心理学は心理学でも人の心を読みとるとか他人を上手にコントロールするとか、そういったテクニック的なものではなく、すごくざっくり言うと人間の深層心理について研究した学問です。

つまり巨人は我々人間の内なる暴力性、壁は心の境界などを象徴している、と先にも述べてきたたように、深層心理的要素を反映したメタファーしての属性が強いのがユング心理学らしいということですね。

ユング心理学的に創作物を解説した、触りとして面白い本として日本におけるユング心理学の大家、故河合隼雄先生の著書があるので紹介しておきます。
漫画やアニメを見る際にもこれまでと違った楽しみ方ができる世界観を広げてくれた本です。

この本の中で推薦されている本の中に「道化の民俗学」という古い論文があるんですが、「道化」に関してもユング心理学と浅からぬ繋がりがあり、これが様々な創作を読み解く上での知識を与えてくれたので、紹介しつつここから抜粋しつつ進めていきます。

少々話が逸れますが、この本で言われている趣旨を引用すると道化の役割とは、単なる娯楽の対象としてのピエロではなく、

  • 道化の役割は日常性を破壊することにより我々を中間地点に導くことにある。
  • 二つの世界のつなぎ目の役を果たしている。
  • 「王権」を剥奪し、豊穣をもたらす存在である。
  • 凶事・災害・悪のイメージを吸収し、中心から外縁に持ち去る。
  • 生贄山羊的性質
  • 新しい想像力の回路の形成のために世界を構築しなおす。

本書では道化=トリックスター=ピカロ(アンチヒーロー)として論が展開されていますが、こうしてみると、エレン(調査兵団)は物語において道化的役割を持つといって良さそうです。
近年正統派ヒーローよりアンチヒーローを主人公とした作品が多いのも、「常識や慣習を打ち破り新たな世界を作り出す存在」であることが一因であるようにも思います。

道化は日常世界からそれを越えた、人間のノーマルな意識の識閾の彼方(すなわち我らの内なる「自然」ということになろうか)に投ぜられた文化の自立探知機のごときものである。

引用:「道化の民俗学

ユング心理学では我々の普段意識している領域、意識上に上らない無意識領域、そして個人の経験を越えた人類共通の先天的な領域ともいえる集合的無意識の三つの領域に分ける考え方がありますが、パラディ島の三重の壁は、我々の心の領域を表しているようにも思えます。

  • 一番手前のウォール・シーナは人類の活動範囲としての理性の領域である意識的領域
  • 中間に位置するウォール・ローゼは得体のしれない化け物である巨人(我々のうちなる暴力性)が潜む無意識領域
  • そして真の世界との境界であるウォール・マリア

こんな見方もできるんではないでしょうか。

三重の壁は脳の髄膜を表しているという見方もまたありそうなんですがそれはちょっと趣旨がずれてきそうなのでまた今度。

つまり壁の外に出ていき探索を行う調査兵団は、この物語としてもパラディ島と外の世界を結びつけ、新たな地点へと物語を導く道化的存在と言えそうですが、ユング心理学上でいうと、意識的領域から無意識的領域に潜行し、深層心理を暴き出す過程も表現しているのですね。

人間の心の中の、魂の領域に近づくということは、すごい暴風雨圏というか暴力の世界にも直面していかねばならないということです。

引用:「こころの読書教室」

巨人との壮絶な血みどろの戦いに身を投じる調査兵団はまさに深層心理の中の暴風圏に突入することそのもの。本当の意味で自分を知るということは、人間の持つ暴力性と向き合わなければならないということを意味するのですね。

そして面白いのは心の外界(意識)と内界(無意識)が双方向的に呼応していること。基本的には心の外界と内界は閉じらているけど、まれにふっと開かれて意識の世界が無意識の世界に侵食されることがある。例えば正夢の形をとったりすることもあるし、悪いケースだと統合失調症になるとか。
ライナーとベルトルトが壁を破壊して意識的領域を巨人で侵食してしまったのはそういうことを表しているととれるかもしれません。
そしてライナー達にとっても壁の内側深くに潜っていくことは心の深層領域に踏み込んでいくことを意味する。文字通り彼ははそれで精神分裂しちゃってますからね。

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出典:進撃の巨人 19巻

しかし、心の奥底まで掘って掘り進んでいく、それこそが真に自己を実現するということに繋がっていくのではないかというのがここでの趣旨です。

 

4.エレンの自己実現とは

 

「井戸」を掘って掘って掘っていくと、そこでまったくつながるはずのない壁を越えてつながる、というコミットメントのありように、ぼくは非常に惹かれたのだと思うのです。

引用:村上春樹河合隼雄に会いにいく

 

村上春樹の小説にしばしば登場する「井戸」ですが、これはラテン語における「それ」の意味で、「それ」とは人間の無意識の部分をフロイトがそれを表現したことに始まるものといっていいでしょう。

結局人間も動物である以上戦い続けるのは自然の摂理のようなところもあるけど、エレンにしてもライナーにしても、井戸=無意識を掘って掘り進んだ結果、繋がるはずのなかった世界が繋がってやっと理解し合える立場になったといえるでしょう。

そして自己実現とは何か。

ユングにとって、自分の無意識の世界にあるものがだんだん実現され、それを生きることが自分の一生だったと言うのですね。
自己実現というのは、セルフ・リアライゼーションというのですが、これは面白い言葉で、一般的にいうと、リアライズは「理解する、知る」という意味もあるんですね。<中略>

実際に言いますと、自己実現というのはなろうことなら、したくないようなことが多いのです。<中略>
ちょっと言い方を変えると、主人公がいかに「あれ」とつきあったかという話です。
その、馬鹿ばっかりしている、それが自己実現だというのがすごく大事なことなんです。

引用:こころの読書教室

自己実現といえば、普通を夢を叶えるとか目標を達成するとかいう意味で捉える方が多いのではないでしょうか。しかし、人間の深層心理という観点で考えると、実際にはやりたくもないような馬鹿なことばかりやって、それが何を意味していたのか気づくこと、それが人生だと言うのです。

エレンの人生ってまさにそんな感じですよね。母親を目の前で巨人に食われ、血反吐を吐いて巨人と戦い、その先に知った真実といえば自分達は世界に忌み嫌われ今にも滅ぼされようとしていること。
そして最終的には世界の大半を踏みつぶした最悪の殺戮者として歴史に名を遺すであろうことを考えるとこんなひどい人生もまぁないんじゃないかという気もしてきます。
一見すると幸せとは程遠い上に、それらが全て自分が仕組んでいたことだと進撃の能力と始祖の力によって知ることになる。

これこそ上述の「セルフ・リアライゼーション」に当たることではないでしょうか。
ただ壁の外に出て自由に冒険したかっただけなのに、馬鹿みたいな茨の道を歩んでやりたくもないようなことばかりやっている。
挙句子供の頃の夢はガッカリするような現実。

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出典:進撃の巨人 33巻

でもこれって、私たちの人生もまた同じようなもので、子供から大人に成長する縮図みたいなものです。

子供の頃の想像や期待って、裏切られることが大体じゃないですか?
俺は夢も目標も全部叶えて最高の人生を生きた!っていう人ももしかしたらいるかもしれないんですけど、往々にして人生は挫折の連続ではないかと思います。

じゃあ人生の意味って何なのっていうのは、結局これなんですよね。

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出典:進撃の巨人 34巻

増えるために必要でもないけど、それに気づくこと。
それもまたセルフ・リアライゼーションなのではないでしょうか。
幸せはただそこにあって、それに幸せを感じる心があるかないか。
すごくありきたりなような気もするけど、結局答えはそれでしかないのだと思います。
言葉だけでいうと綺麗ごとのようにも感じるけど、頭で考えるのではなく、体の感覚として幸福感は確かにある。
肉体と脳は連動しているので、頭だけではなく体で体感して初めて納得できるものだと思います。
かけっこをしていた時の風の温さやキャッチボールのボールの感触。
体で触れられる感覚としてこれらを伝えようとしたアルミンとジークの対話は、諌山氏がなんとかそれを伝えようと絞り出した描写のようにも感じました。

※ここに書いたことは私のただの見解であり進撃の巨人に関する正しい情報ではありません。勝手な考察や感想を述べてご無礼をお許しください。