テレビを捨てて本を読もう

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【感想・考察】村上春樹 アフターダーク/村上春樹が世界と関わりを持つようになってきた?

村上春樹の長編小説の中では新しい部類に入るアフターダーク

前回といってもしばらく前にスプートニクの恋人について書きましたが今みると中々トンチンカンなことばかり書いている気がしますね。

honwoyomimashou.hateblo.jp

発表順に村上小説を読んでいると言いましたが、海辺のカフカだけは以前読んだことがあったので飛ばしてまた別の機会に書こうと思います。

ちなみに過去作についてのネタバレを含みます。

 

 

まず今作についてざっとまとめると、

  1. 一晩の出来事を書いた物語
  2. 上小説初の女性主人公
  3. 主人公以外に語り部の存在がある

あたりがこれまでの村上作品と比較すると目立った特徴でしょうか。
初期の村上作品から読み続けてきた読者の方ほど、本作における設定や作風は斬新で挑戦的に感じられたんじゃないかと思います。
これまでの主人公は大体20~30代の青年で、バーで酒飲んだり恋人を捜しに旅に出たりという物語が多く、それが村上春樹的でもあったのですが、なんとなく前作海辺のカフカあたりでテイストがガラッと変わってきましたね。今作もこれまでとは違ったちょっと異質に感じらる作品で、村上春樹どうした?ってなったファンもいらっしゃったんじゃないでしょうか。

これまでの村上作品は、3作目の「羊をめぐる冒険」の中にある台詞を借りるなら「内輪だけのパーティ」、いわば主人公が自分自身と向き合って自分を見つけていく物語だったようにも思えます。おそらく村上氏の自殺してしまったという友人に対する弔いや、どこか作者自身の傷を癒すという回復行為でもあったようにも感じる私小説的な物語でもあったのが、これまでの集大成とも言える「ねじまき鳥クロニクル」で一つの区切りがついたのか、海辺のカフカあたりからはより物語にエンターテインメント性を持たせてみたり、割かし自由な、新しい作風に挑んでいっているようにも感じられます。

何より印象的なのは、海辺のカフカのホシノくんや、今作のコオロギのように、主人公の内輪のパーティーとは外側の無関係だった人々によって主人公が救われていくという、誰かは分からないけど世界のどこかで誰かが自分を生かしてくれている、助けられているという、世界との関わりが強まっているなと感じられる点です。
村上春樹河合隼雄に会いにいく」で語られていたように、

コミットメントというのは何かというと、人と人の関わり合いだと思うのだけれど、これまでにあるような、「あなたのいっていることはわかるわかる、じゃ、手をつなごう」というのではなくて、「井戸」を掘って掘って掘っていくと、そこでまったくつながるはずのない壁を越えてつながる、というコミットメントのありように、ぼくは非常に惹かれたと思うのです。

※村上小説における「井戸」はラテン語で「無意識」を指す「イド」のことと思われる。

人と人との関わりの中で、全く繋がるはずのなかったところで自分が救われたりする。カオルとの出会いや本作における終盤のコオロギとの会話などはまさに上記のコミットメントに当たるのではないかと思いました。

初期の作品は日本の文学界だったりが嫌で一人で好きに小説を書いていた、と村上氏自身語っているように、コミットメントと反対のディタッチメント的な部分が見られたような気もするけど、この河合氏との対談でもあるように、「ねじまき鳥クロニクル」あたりを境に、コミットメントの重きを置く作風になっているのではないかと感じた次第でありました。

色々気になった点や考察はまた別に上げたいと思います。では。